福祉の空気=私たちの持つ「無意識の前提」
「福祉の空気」を変える。はじめて聞いたとき、とっても鋭い視点だと思いました。社会全体が当たり前だと認識して見過ごしていた点。それは、「介護は嫁や子どもがやらないといけない」ということ。「高齢社会はお先真っ暗」ということ。私と親の会話を振り返っても、「将来は私が介護してあげるね」と親に言ったり、逆に「いいよ、そんな負担をかけたくないから。年をとったら私を老人ホームに入れてね」と言われたりしていました。実際に私の周りにも同じ空気に包まれていたんだな、とドキっとした瞬間でした。
空気、それは私たちが無意識的に持っている前提条件ではないでしょうか。無意識の前提は、モノを見るときの色眼鏡のようなもの。だから、ドラマでは嫁が介護することが美化されてしまうし、私たち自身もその前提にたって老後をイメージしている。そして、それがまた私たちの無意識の前提を強化してしまっているのです。
このように今回、「福祉の空気」というものに気づかされたことで、新しい見方で両親の老後のこと、そして自分自身の老後を真剣に考えるようになりました。とくに、私たちの生活形態が多様化してきた今、福祉の空気を変えていくこと、利用者主体の質の高いサービスを提供していくことが重要になってくるのだと思います。私の場合、母がアメリカ人であり、父親が定年した後、アメリカと日本のどちらで老後の生活を送るのかが不透明なため、母は国民年金を払わずに自分で老後のお金をためています。お金はためているものの、体調を崩したらどうするのか・・・やはり娘としてはとても不安です。けれども、私自身も将来どこでどんな生活をしているか分からなく、必ずしも両親のそばにいるとは限らないのが現状です。そんな両親、そして私の不安を取り払って、老後も充実していくためにも、石川さんの「網の目のような仕組み」が本当に必要だと思います。けれど、今はどうしても介護を家族や、制度頼みになってしまっている。だから空気を変えることが重要・・・福祉の空気や現状の制度が一本につながっているのだけれど、良い方向に進んでいるのか、悪い方向に進んでいるのか、まだ曖昧なような気がしました。
また、介護と家族の絆を別々のものとして捉えている点には、正直のところ自分自身ホッとしました。私は両親が大好きです。今までの恩返しとして将来はちゃんと介護もしてあげたい。けれどちゃんと続けられるのか・・・不安も抱いていました。だからこそ、石川さんの「介護はあくまで『行為』であり、家族間の『思い』とは別物だ。」という言葉は、自分の無意識の前提に気づかされると同時に、とても意義深く心に響きました。きっとこういった空気が広がれば、福祉も変化するのではないか。けれど空気というものは簡単に変えられるものでもない。こういった空気を変えていくために、仕組みづくりがあるのではないかと感じました。