井上英之 研究室

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問1.

|『発想する会社!』の指定箇所を読みんで自分のマイプロに

|活かせそうだと思う「型*」を選び、どんな風に活かせるか、

|また応用してみた際に起こりうるアウトプット・アウトカムの

|変化を想像して書いてください。

*「型」=誰でもがマネをして応用の出来る具体的な基本技

| デスクを社員それぞれのテイストにアレンジ出来るシステム

| ⇒遊び心のある環境にすることによって、社員の頭を柔軟にし、

|  クリエイティビティを発揮しやすい環境を作る

 

<回答欄>

 

「物語を語る」

これは僕が今、最も重要だと考えていることです。

おもちゃ屋さんの販売員のアルバイトをやってもう1年以上経ちますが、

この「物語」をいかに語れるかは、考えただけで涙が出てくるくらい重要です。

 

例えば、僕はヨーロッパの木製玩具の輸入専門店で働いているのですが、調べてみると、どのメーカーもそれぞれの国柄や文化的背景、地理条件や創業者の想いなどに由ったコンセプトを打ち出しています。にも関わらず、ほとんどの販売員は”値段”や”カラーバリエーション”などの”商品情報”の知識を知るにとどまっています。店頭に出ている「モノ」しか見えていない。

 

例えば、積み木の面取り(木片の角を削る作業)をどこまでやるか、というところひとつ取っても、メーカーの哲学が表れているのです。また他にも、スイスの青年更生施設で生産されている美しい玩具メーカーもあります。そうした「作り手から売り場まで」に流れているストーリーがまずは重要です。これを知っている事で、まずはメーカーのコンセプトの”最後の”伝導師となる事が出来ます。お客さんによっては、その時点で感動してくれる事もあります。

 

しかし、僕が思う「物語」はその先にあります。それは「販売員(現場人)がその場で創る物語」です。おもちゃメーカーのコンセプトは分かったけれど、やっぱりそれはヨーロッパの土壌で生まれたものです。日本で生活しているお客さんにとって、なじみにくいものや、逆に外国モノへの変な憧れが伴ってしまい、単に商品の”裏”に流れているストーリーを語るだけでは「ピンと来ない」。(日本のモノでも、デザイナーのコンセプトが高度化していますし、複雑なインターフェイスのモノも多くなってきました。)

そこでやっと、販売員(現場人)の役割が見えてきます。それは「商品とお客さんのこれからの物語を語る事」です。(そこには自身の商品に対する想いが問われます)ここが出来ている販売員はほとんどいないです。そうした深みのある商品が少ない事がまずは大きな要因だと思いますが、、、僕自身もそうありたいと思っているだけでなかなか実践出来ないのです。。。

 

この商品がそんな状況で使われるのか、ありもしない”万能”をアピールするのではなく、お客さんの生活、僕の場合は子どもたちの遊びの文脈で、この玩具はどんな存在なのかを対話の中で描いていくのです。兄弟の数、性別、他人へのプレゼントなのか、自分の子どもへ買うのか、そもそもなぜ買うのか。これらを対話の中で導きだし、「子どもたちの遊びの文脈にモノを乗っける」。また時には、店頭に無い商品を勧める事もあります。ここまでが、販売員(現場人)のすべき事ではないかと思っています。まあ理屈抜きで、こういう接客って、感動します。

 

洋服買うときなんか、みんなイメージしやすいのではないでしょうか。中途半端にオシャレ気取りな店に行くと、「しゃませっ、、」と歯の抜けたような挨拶から始まり、、商品をてにとった瞬間声をかけられるやいなや、「お似合いですね」がはじまる。お客が言った事に対しても「そうですねー」しか言わない。そんな販売員、必要ですかね?(笑)そんな事より、お客さんの良さを読み取り、お客さんが思いもしなかった商品を提案したり、お客さんが飛びついた商品に対しても、「お客さんの肩幅だと背中にシワがよっちゃってますねー。サイズ変えてみますか?/こんな商品もありますが。」という事ができるか、そこがプロ。お客さんが手に取ったものを、気が変わらないうちになるべく早くレジに運ぶのが販売員の仕事ではないですよね。

 

商品が店頭に並ぶまでの物語、商品が買われてからの物語、この2つをつなぐStory Tellerが、本当のプロフェッショナルだと思うし、企業価値を即、高めるものだと思います。

 

 

 

●問2.

HINAMIの特徴の中で、WEB2.0の特徴と共通する部分はどこでしょう。

|また、HINAMIのプロジェクトにこの特徴がどのような効果を

|もたらしていると考えられますか。

 

<回答欄>

■「アイディア公募」

メーカーが新商品を発売する時に、CMの公募をするという話と手法が似ている。が、田坂さんの文章の文脈では、それが商品の開発には結びついていないようです。その点、HINAMIは同じ手法で集めたアイディアが、映画そのものを形作っていく。田坂さんのいう「主客融合」を、より実践していると言えそうです。

 

■「数にこだわる」/「任せる」

素人〜アマチュアを数多く集める事で、「いい人”も”」発掘できるようになる。時にはプロの予想を越えた才能が手に入る場合もあると思います。それは、ウィキペディアなどに見られる知の集め方に似ている。数の多さで良い情報が集まる確立を高め、誰でも書き込める「おまかせ感」で情報の質を高めるのです。

 

 

 

 

●問3.

|みなさん自身のマイプロに引き付けて考えてみてください。

|デザインの勉強を2007年最後の授業で受けてみて、自分の

|マイプロについて考える際に何か視点が変わった点がありますか?

|また、デザインという視点が

ソーシャルイノベーションにもたらす

|効果はどんなものだと思いますか?新聞の社説を通して、ソーシャル

|イノベーションにおけるデザインの重要性を伝えるつもりで、

|○タイトル

|○サブタイトル、もしくは小見出し2つ

|をつけて、文章にまとめてみてください。

|なお、回答する際に使う事例はマイプロでなくてもOKです。

 

<回答欄>

 

タイトル:人間性の回復へ向かうデザインの時代へ

 

内容:

 

今、社会をより生き生きとさせるためにイノベーションを起こそうとする動きが、活発になってきている。そこで、より多くの人を巻き込んたインパクトを生む事や、組織をよりクリエイティブにするための手法として「デザインの力」が注目されている。見た目のかっこよさや美しさにとどまらず、実際の行動を意図を持って誘発するために、オフィス環境や広告などのアウトプットをデザインするという考え方が重要視される様になったのだ。

 

■デザイナーは神様か

例えば、マクドナルドの椅子の座面が固いのは、店内客の回転率を高めるためだという。計画的に、無意識な行動を誘発しようというわけだ。

しかし、ここに一種の生理的な違和感がある。それは「デザインによって動かされている人々は、デザイナーの意志のもと、”動かされ”、それをみてデザイナーは上手くいったと喜んでいる」という一枚の絵が思い浮かぶからだ。なんだかバカにされた気分にならないだろうか。時間と場所を越えた場所から私たちの行動が既に規定されてるとしたら、まるでデザイナーは神様だ。

こうした考え方は今のプロダクトデザインには既に浸透している。グッドデザインと言われるものの多くはこうした「意図」がどれだけ潜在しているかがポイントだ。確かに、考え抜かれたデザインだと思う。きっとそれを使えば物事がスムーズに進むのだろう。使いやすく、身体が拡張した様に無意識に使用できるだろう。しかし、そこにぽっかりと欠落しているもの、それは「モノと人のコミュニケーション」である。

 

■使いにくさを残すデザイン

ここに一つの”やかん”がある、おばあちゃんの家にあるような、フォルムの鈍い、グッドデザインとはほど遠いモノだ。さらに、このやかんには大きな欠点として、「注ぎ口の水切れが悪い」という性格がある。そこにはすでにデザイナーの意図など潜在していない。むしろ、「使いにくくてすみません」とでも言っているかのように見える。しかし、私が思う、デザインされたものの理想型はまさにこの”やかん”なのだ。

先述したいわゆるグッドデザインは、使い手が「コツ」や「工夫」を生み出す必要を以下に無くすか、それが無意識なモノの使用やスムーズな行動を生み出し、結果、クリエイションが引出されるというものだ。それに対し、この「ちょっと使いにくいやかん」は、結果的に使い手に「コツ」を要求している。急須にお湯を注ぐとき、最初は勢い良く傾けなければならない(笑)などだ。これは使い手がモノとの対話を始めた瞬間である。私はモノ→ヒトのベクトルしか見ていないデザインにはうさんくささを感じるが、ヒト→モノという働きかけのできるデザインには、人間の「くらし」や「遊び」を豊かにする要素があると信じている。

オフィス環境にしても、オープンにしたり、フリーアドレスにする事で確かにリラックスした環境は実現できるかもしれないが、普通のオフィス環境でもクリエイティブな発想はもちろん生まれる。最終的には個人がオフィス環境のデザインを越えて、何をするかがすべてだ。机が使いにくければ、自分で向きを変えればいい。デザインが何もかも用意してくれるという意味で単なる「ヒトの甘え」に加担しているとしたら、私は「デザインしないほうがいい」と思うのだ。

 

 
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