井上英之 研究室

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●宿題1●

 

○既存の財団に対して

 

1.これまでのやり方が非効率的で、成果が見えにくかったことへの気づき

ベンチャー・フィランソロピーの登場は、「ドットコム・ブーム」で成功した人々が持つビジネスの視点―客観的データに基づく成果測定の重視、継続性、戦略的思考―は、財団の透明性と有効性の向上に不可欠であるという認識を作った。投資後も継続的な監査・分析による「ハンズ・オン」な関わり方に移行を遂げた。また、経済的支援に留まらない様々なコンサルティングを提供するようになった代表的な事例としては、Mario Morinoが裕福な個人に働きかけ、ワシントンDCおよびバージニア北部で立ち上げたVenture Philanthropy Partnersが挙げられている。(Fleishman 2007:271

 

2.形態の柔軟化、多様化

シリコン・バレーには「長年のトップダウン型のフィランソロピー機関」が存在せず、「新しい形態のフィランソロピーにオープンだった」ことは、従来型のフィランソロピーではミッションが達成できないと感じる創設者にとって恵まれた環境だったといえる。(Moody 2006:20)この中で、創設時に目的を指定する必要がなく、貢献する分野がドナーとその指名者の提案に応じて異なる「ドナー推奨ファンド」、役員会のメンバーの少数派の意見も反映される「支援組織」などが生まれた。(Fleishman 2007:269-270)たとえばOmidyar Networkの創設者Pierre Omidyarは、所得控除可能な寄付と所得控除不可能な支出の組み合わせにより、非営利と営利両方の側面を組み込んだ。(Fleishman 2007:272-273

 

○ビジネス界に対して

 

1.新たな生きがい、やりがい、大義名分の発見

「非営利セクターの文化とニーズに戦略的な投資テクニックを適用」するという「融合文化」はビジネス界の人々に新たな達成目標を与えたと私は考える。(Moody 2006:11)ベンチャー・フィランソロピーはすべての人が持ち合わせる「このお金で何をするのだろう?どうしたら自分たちを弁護できるだろう?どうやって自分たちの存在を正当化できるだろう?」という疑問に答えることで、「一般的なアメリカ文化に根付く実利主義的な感覚」に対して正当性を見せ付けたのである。(Moody 2006:14

 

2.経済的・社会的成果をめぐる徹底と競争

それぞれの創設者はドットコム成功者としてのプライドにかけても、ベンチャー・フィランソロピーにおいて測定可能な成果を追求することで自身の能力を証明する使命感に駆られたと考えられる。ベンチャー・フィランソロピーの構想と手法が具体化されていく中、ビジネス界の人々の間では、この新しい分野においても経済的・社会的両方の側面において最大の実績を遂げるべく、一種の競争意識のようなものが芽生えたのではないだろうか。

 

○社会起業家に対して

 

1.「模倣の同型」(Moody 2006:20)の形成

ベンチャー・フィランソロピーが先駆者による書物や会合によって広がったのは、「模倣の同型」が示されたことによるものだと形容されている。この模範的存在は、社会起業家にとっても目指すべきモデルとなるオピニオンリーダーとして具現化され、モチベーションの向上に繋がったのだろう。さらに、人的ネットワーク、成果の定量的・定性的測定など、ビジネス界における要素が担う役割の重要性を再確認することができたと考えられる。

 2.自信と野心の向上

    シリコン・バレーにおけるベンチャー・フィランソロピー発足の流れは、ビジネス・セクターとパブリック・セクター間の境界線を完全とは言わないまでも薄くしたようである。社会起業家にとっては実際に経済的・実践的支援を受けただけでなく、現実的な成功可能性を見せ付けられ、自信と野心の向上に繋がったのだと思う。ベンチャー・フィランソロピーが従来の財団という型を破ったように、社会起業家もまた常識や通年にとらわれず、自分自身の信念とやり方で世界を変えるのだという決心・覚悟がなされたはずである。

 

●宿題2●

 

Dot com boom

   IT事業の成功によるドットコム経済の繁栄は多くの資金だけでなく、フィランソロピー事業に携わることを意図する新たな富裕層を生み出した。この際「地域の人を助けるという純粋な『道徳的義理』」ではなく、「ビジネス感覚への刺激」がフィランソロピー事業に従事する上での唯一のインセンティブであったという。(Moody 2006:18)極論ともいえるが、片方の分野で成功した手法を別の分野でも活用できる自分たちこそが「『超空の覇者』であるという自信、あるいは傲慢」(Moody 2006:16)は少なからず存在したのかもしれない。決してすべてのベンチャー・フィランソロピー創設者がドットコム成功者というわけでもなく、その逆も同様であるが、一部の人々が持ち合わせていたこの「バブル・メンタリティ」がベンチャー・フィランソロピーの発生と発展に貢献したことは確かである。(Moody 2006:16)また、彼らがベンチャー・フィランソロピーに関心を寄せることで、メディアもまたドットコム経済と関連して、この新しい分野に関する公的な報道を行うようになったことも特筆すべき点である。

 

Communication across professional and peer network

  ビジネス界の人々がベンチャー・フィランソロピーを思い立ったとき、彼らは他の裕福な個人と連携をとり、情報を交換することができた。そしてこのドットコム成功者特有のネットワークを利用し、ベンチャー・フィランソロピーの可能性を伝播した。これは「この新しい分野がInfoSeekの創設者であるSteve Kirschとベンチャー・フィランソロピーの提唱者の自宅で行われるカクテルパーティーで宣伝された」例でもみられる。(Moody 2006:20)シリコン・バレーの地域的特徴として、「縦割りのトップダウン型」とは異なる水平型かつ「自然発生的で、ピアツーピアの、専門的な」ネットワークが敷かれていたことは、ベンチャー・フィランソロピーの急速な拡大の一因であると考えられる。(Moody 2006:20)同じ地域・ネットワークの共有は同時に、同じ土壌・文化の共有をも意味する。ベンチャー・フィランソロピーの先駆者、すなわちオピニオン・リーダーは、ネットワークを利用し、この連鎖反応が起こりやすい状態を意図的・計画的に作り出したのである。